トイ・ストーリー4みたよ

【ネタバレあります、注意!】

トイ・ストーリー4を見ました。

ていうかもうかなり前に見たけど、全然消化出来てないし、あんまり考えないようにしている。

 

私はいつも映画を見たあと、スタッフ陣の制作秘話を漁ったり、いろんな人の意見とかを読んだりすることが多いのだけど、一切そういうことをしていない。

だからなんか賛否両論らしいということしか、知らない。私とトイストーリーの間に誰も介在させたくない。それくらい、私にとってトイストーリーは特別なのである。

 

4に対して賛否どっちと聞かれたら、答えられない。そんなに簡単なものじゃないのだ、トイストーリーは。

トイストーリーは私にとって映画ではない。思い入れが無限の彼方まで行くので、評価なんて客観的なことは出来ない。

とにかく子供の頃の私にとって、ウッディは最高の友達だった。そして、ウッディとバズが永遠の相棒同士であることは、私にとって揺るがない真実であったのである。

 

さて、トイストーリー4の話をしよう。

作らなくていいと思っていたトイストーリー3が結果的に最高傑作だったので、もう長編の続編は作って欲しくなかった。最高な状態で終わって欲しかった。

だから4の制作の第一報が入った時からずっと憂鬱だった。公開が近付くほどに心に鉛玉が少しずつ溜まっていくような気分を覚えていた。

 

それでも見ないわけには行かないので、重い足取りで1人で映画館に向かった。周囲がギュウギュウの席に座りたくなかったので、始まるギリギリにチケットを取った。

平日にも関わらず、かなり席は埋まっており、周囲に人がいない席を選ぶと、必然的に端の見にくい席になってしまった。紙兎ロペのポップコーンのCMを見ながら、帰りたくてしょうがない気持ちがどんどん強まっていくのを感じていた。

ひたすら募っていく映画への不安から、奇声をあげてしまうかもしれないとすら思い始めた頃、照明が落とされて映画が始まった。

 

蓋を開ければ、開始の時点でずっと泣いていた。その涙の理由が分からないくらい感情がゴッチャになっていたのだが、不安に思っていた種類の涙ではなかった。

 

泣きすぎて開始から数分の話の前後関係を覚えていない。

仲間を助けることを絶対にあきらめないウッディのウッディらしさ。アンディーと遊んだ大切な思い出。ボーとの悲しい別れ。最近ボニーからの扱いが不遇なことに対して不安を隠して平気そうに振る舞うウッディ。

感情を揺さぶられるシーンの連続に心が追いついていかなかった。でも目の前にいるウッディは紛れもなく、私の愛してきたウッディそのものであった。なによりそのことへの安堵で、肩を震わせるくらい泣いていた。

 

ウッディはウッディのままで毎日を過ごしていたことを実感し、ウッディの日々の積み重ねに思いを馳せて泣いた。

久しぶりのウッディとの再会、それだけでもう十分だと思った。

 

そこからフォーキーに執着するボニーに対してアンディーを投影しながら執着するウッディの話。ややこしいな!

おもちゃの視点で冒険するストーリー展開は今までのシリーズを思い浮かべずにはいられない。小さなおもちゃたちの冒険はやはりワクワクしてしまう。同じ映像を繰り返し見ていたオタクにとっては「新規映像多すぎ!ちょっと待って!」という状況になりつつも、このあたりのシーンは比較的平常心で見ていた。

 

そしてボーとの再会。

ボーの描き方に納得できなかったらどうしよう、というのが見る前の最大の懸念点のひとつであったが、すぐに今のボーが大好きになった。

苦労を苦労ともせず、ワクワクする毎日に変えてしまうボーの前向きさとパワフルさ。

一緒にいると勇気がもらえて楽しく過ごせる素敵な人柄。

今のボーは、一生懸命生きてきて辿り着いた姿だと実感できた。だから、これはボーじゃないなんて思わないで済んだことに安堵して、また泣けた。

 

ウッディがそんな輝いている今のボーを見て、自分の現在と気持ちに向かい合ったら、どんな選択をするかなんて分かりたくなくて、でも知りたくて、なんだか集中できないまま、映画は終盤に向かう。

 

決死の思いのフォーキー救出作戦は失敗した。それでもウッディはもう一度フォーキーを取り戻そうとして、ボーたちは呆れて去ってしまった。ボーたちが去っても、バズはウッディのそばにいる。

あぁ大丈夫だ、この後きっとウッディはバズと一緒にフォーキーを助けてボニーの元に戻るだろう。そのあとは今まで通り、バズや仲間たちと一緒に過ごす幸せな日々が待っているだろう。

そんな展開で映画は終わるはずだ、そうでないと、耐えられない…。

 

キラキラした夜の遊園地を舞台に、フォーキーだけでなく、ギャビーギャビーまで救って、ウッディは無事に仲間たちと再会できた。

あぁ、嬉しい。めでたしめでたし…これでおしまい。

…ではなかった。

ウッディは新しい道を選んだ。ウッディはボニーの家には帰らない。

 

ボーと再会した時点で、本当はそうなるんじゃないかとずっと不安だった。その不安が的中してしまい、涙がとめどなく溢れた。

私は、ウッディに、ずっとバズやジェシーやブルズアイやスリンキーやレックスやハムやポテトヘッド夫妻たちと一緒にいて、持ち主に忠実なおもちゃでいてほしかったんだ。

それでこそ私の大好きなウッディだったんだ。

 

でもウッディは、私の想像をはるかに超えて、自分の人生を生きていた。私の知らない人にたくさん出会って、自分のこれからを考えて、新しい選択をした。

 

私はキャラクターに不変を求めていたのだと気付いた時には、もうハンカチは涙を吸い過ぎて汚い布切れと化していた。

アンディーは大人になってしまったけれど、ウッディたちは変わらなかった。だからウッディたちはこれからもずっと変わらないであろう。そうであってほしかった。

トイストーリーのおもちゃたちは、私にとっても子供時代の象徴なのだ。

 

トイストーリー1、2を見ていた時は、私もアンディーくらいの子供だった。おもちゃたちがアンディーがいない時に動いているように、ワクワクする不思議が私の知らない間に周囲で起こっているのかもしれないと夢見ていた。それだけで世界は色を変えて、毎日が輝き出す。アニメーションは魔法だ。

少し周囲から浮きがちだった私にとって、学校は楽しいことばかりではなかったけれど、つらいときはウッディのことを思い浮かべれば大丈夫だった。ウッディはいつだって俺がついてるぜ、って言ってくれるし、そのウッディの相棒のバズだって一緒だ。おもちゃたちはみんな私の心の友達だった。

 

トイストーリー3が公開された時には、私は自分のことを子供とは言えないし、もう大人にならなければいけない頃だった。子供の頃のように夢見ることは少なくなっていて、そのかわりに現実ばかりが目の前には横たわっていた。

アンディーも大学生になり、大人になるところだった。おもちゃたちとの別れのシーンは涙が止まらなかったし、すべてのトイストーリーを愛する人達と同様に、私にとっても特別なシーンになった。今でもアンディーの子供部屋の壁紙柄を見るだけで泣きそうになってしまう。

アンディーは子供時代に別れを告げたけれど、おもちゃたちはボニーのもとで、また同じような日々を過ごしていく。そのボニーが大人になっても、またきっと新しい子供のもとで、一緒に過ごしていくのだろう。

私にとって、これ以上なく幸せで希望のあるラストだった。そうだ、そこで時間を止めてしまいたかったんだ。

ずっと子供でいたいけれど、時間は過ぎていって止まらない。私もアンディーも変わっていくけれど、でもウッディたちはそのままでいてくれるのだ。幸福な子供時代に閉じ込められて。

 

しかし、そうではなかった。おもちゃたちにも私たち同様に時間が過ぎていく。おもちゃたちも、生きていて、変わっていく。

人生とは選択の連続である。小さな選択、大きな選択、色々あるけれども、選択の連続の先に未来があるのである。

私の知っていたウッディならしないであろう選択を、今回のウッディは選んだ。ウッディはびっくりするくらいに生きていて、そして変わった。

 

気づかないふりをしていたけれど、時間は止まってくれない。そのあまりの現実にショックを受けた。

でも、時間が止まってくれないのは寂しいけれど、悪いことばかりじゃないと思いたい。

新しい挑戦は、きっと喜びだって連れてきてくれるはずだ。大好きな仲間と離れても、今度は新しい仲間とのワクワクする出会いが待っているだろう。

ウッディの新しい挑戦の行く先は誰にも分からない。けれど、意を決した選択の先には、プラスになることが待っているだろう。そうだ、ウッディならば必ず、人生を好転させるだろう。

 

バズに背中を押してもらって、ウッディが選んだ道を応援したい。

それはウッディとバズはもう一生会えないかもしれないということで、寂しくて寂しくてたまらない。それは受け止めきれないほどの寂しさだけれど、おもちゃたちが過ごした日々は嘘ではない。だから私はその記憶を大切にとっておいて、宝物のように思い返せばいい。

それでもこの寂しさをどうしたらいいかわからない時には、またいつかウッディと仲間たちが会える日が来るかもと夢見ることにした。勝手かもしれないけど、それくらいウッディは許してくれるはずだ。

 

 

結局エンドロールが終わっても涙は止まらず、恥ずかしくて顔を隠しながら映画館を出た。

映画館を出た先では、トイストーリーのグッズが売られていた。グッズの中ではウッディとバズが並んで立っていて、私に笑いかけていた。

 

ふたりが並ぶことはもうないのかもしれないけど、私も私の人生を生きていくよ。

劇的なことはない毎日だけど、それでもおもちゃたちとの記憶が私の背中を押してくれる日がこれからも確かにあるだろう。

 

幸せをたくさんくれた私の友達へ。

どうか君たちの前に広がる未来が、幸せでありますように。